押し入れに引き出し

PCの起動を習慣化することを目標に掲げています

ムズ過ぎ人間界

今日はバイトだった。以前は8時間だったシフトを5時間に減らしたことですぐに帰れるようになって気分が良い。収入は減る。背に腹は代えられない。

帰ってから15時過ぎに遅い昼食を摂った。昨日の残りのシチューに豆腐を突っ込んでチーズを乗せて、グラタンらしきものを作った。それだけだと少なかったので半分残っていたピザ(スーパーでイブの日に買った。味はお察しと言ったところだ)もつけた。…なんだか虚無だ。どうして私は残り物ばかり食べているんだ?スマホ片手にピザを頬張る時、私の味蕾は機能していなかった。

一人暮らしをしていると、食事中にスマホを触るクセがついた。目の前にマナーを守って食べる自分をアピールする相手がいないと人はこうも堕落するのだろうか。マナーは人が人らしさを保つためにあるのかもしれない。排泄しながら飯を食うことは可能だが、それを他者の目に触れさせることは何らかの罪に問われると思われるので、人は皆そうしないのだ。あとそれをして何になるのか?私は何を言っているのか?食事中にスマホを触ることだって、味覚と視覚で過剰に情報を摂取したところで何になるんだと言う話で、マナー違反云々の前に無意味だ。一人で食事を摂る時につい目が情報を求めてしまう心理を突き詰めていくと、その先にはどうにも出来ない孤独とかが寝転がっていそうだがひとまず私は考えるのをやめた。とりあえずながらスマホは無意味、よくない。これをよくないと思えるぶん私はまだ人間界のルールに従わなくてはという意識を胸に抱えているので、社会復帰も夢ではないのかもしれない。

昼食後も引き続きダラダラとスマホで漫画を読んだりしていた。アプリで配信されている単話の漫画を読んだ後の虚無感(2回目 以後禁止ワード)、何なんだろう。普通にその漫画が好きで追っているはずなんだが、更新分を読んだ後は物足りない気持ちが残り、私はこんなことに時間を使っている場合じゃないんだと謎の焦りを覚える。好きで読んでるクセにその作品の価値を貶めるようなことを言うなよと我ながら思うのだが、一話読んだだけだとどうしても暇潰し感が強くなってしまい、漫画を読むという本来自分の中で楽しいとされている行為自体の尊さが下がっている気がする。それとスマホをいじっていること自体を時間の無駄で悪しきことだと捉えている節があるので、その延長でたとえ漫画という趣味を楽しんでいたとしてもそこに罪悪感がつきまとうのだと思う。でもこれはアプリで読むような単話に限った話で、kindleで買った単行本を読んだ後は普通に気分が良いのでどれだけ話に集中する時間を設けられるかがミソなのかもしれない。あとお金を払ってることも大きいと思われる。対価を支払ったものには一定以上の価値があると無意識に期待してしまう。

そういう感じで、スマホをいじいじしている自分に嫌気が差してきたので酒を開け、本を読むことにした。まだ夕方になったばかりだったけど開けてしまった。サングリアサワーの赤ワイン、初めて飲んだけどとても美味しかったので自分の全ての業が清算された(知ってますか?酒は業を流してはくれませんよ)。読んでいた本は死と豊穣の民族文化。自分がなぜこれを読んでいるのかは正直よく分からない。読んでいる理由も分かってないので当然内容にも集中出来ず、バイト後の体は休みたがっており、そこに酒が殴り込んできたので、結果、寝た。最悪~。でもこういう最悪さがあってこその人間かもしれない。そうだね。

最悪~と思いながら目を覚ました後、眠っていた小一時間に見た夢のことをぼんやり反芻した。バイト先に自分と負けず劣らず陰の雰囲気を纏っている男性がいて、その人は普段、他のスタッフの誰とも喋らず黙々と仕事をしているのだが、ある時彼の友人らしき人がバイト先に現れた。その時彼はカウンター越しに友人の方に身を寄せて、彼らにしか聞こえないような声量で楽しげに談笑しており、それを私は完全なる部外者として眺めている、という夢だった。…なんか、良いね。正直思い出しながら萌えていた。その男性には陰の者として一方的にシンパシーを感じている程度で特別な感情はないのだが、それでも普段楽しそうにしているところを見たことが無い人の本当の”楽”を目の当たりにした時、私はグッときてしまうんだなと思った。他人の、自分が知らなかった一面を垣間見た時の喜びは実に甘美で後ろ暗いものがあるのだと改めて気付かされた。まあ全部夢の中の出来事に過ぎないのだが。

他人の普段は隠れている内面的な要素を知ることには中毒性があるが、同時にその人の底に近付いてしまうのでもったいない、と思う自分がいる。分からないからこそ他人は面白くもあり、恐ろしくもあるので、そこを一定以上知ってしまうと他人を他人たらしめている要素がなくなって途端に敬意を払うことが難しくなってしまうような気がするのだ。もっと知りたい と思うような相手は、当然私にとって好ましい人であり敬意を払う対象だが、その欲望を叶えてしまうことで相手への好意が薄れていって次第に取るに足らない人たちのうちの一人になってしまうことが怖いと最近考えるようになった。ちなみにこんなことを考えるきっかけになったのは今現在の推し(実在する人物)だ。他人に底があるという前提で考えているのも失礼な話だが、どうしてもその辺を考えて怖くなってしまう。人間界も人間である自分自身も、難しいですね。

キリがないので雑に締めてしまった。