押し入れに引き出し

PCの起動を習慣化することを目標に掲げています

人生大迷走

今抱えている苦しみへの対処法が分からなくてずっとうずくまっている。

苦しい理由は就活とか就活とか就活だから内定を得られれば楽になれるんだろうけど、それが出来る人間ならこんなに苦しくなってない。

社会が求める”人材”と素の私がかけ離れ過ぎていて、たった一回の面接、たった一回のグループワークだけで「あ、私社会から必要とされてない…」とはみ出し者になった気分がした。現時点での経験値がカス過ぎて笑えるし、たった2回の挫折で逃げ出したくなっている自分のメンタルの弱さにも笑いが出る。

そうやって俯瞰する自分がいながらも、やっぱり心の底から社会が無理だと思う。向いていない。一体どう生きればいいんだ。

必要とされる人になりたいけど、それはただ承認欲求の問題で、社会が求める人物像に私が本当に近付きたいのかと聞かれたら「別に…」という舐め腐った回答しか出来ない。自分の心の内にしか興味が無いから、それを取り出して昇華することを仕事に繋げたいのが本当のところだ。でもそんな志で作ったものってただ自分が気持ち良いだけのキモい代物なんだよなあ。結局他人と、社会と向き合わなければ価値が無いと思う自分もいる。

自分一人で生きたいけど社会とも繋がっていたいというクソ矛盾。な~んでこんなにも生きるのが下手なんだろうな。ウケる。こういう自分を受け入れて面白がっている時点で相当気持ち悪いんだけど、結局変わりたいって本気で思えないし。

自分が自分のままでいられて、死にたくならない道を掴むしかないんだよな。毎日毎日自我と社会に挟まれてどうしようもない気持ちになりながらアイドルを眺めて現実逃避してる現状をどうにかしたい。このままだと精神的に終わる。アイドルにも失礼。

大卒就業経験ゼロフリーランスとかいう無謀な道に挑戦しようかな。自分にとっては会社勤めより何千倍も魅力的だ。こっちはこっちでコミュニケーション能力を筆頭とした社会人力(嫌いな言葉)が求められるんだろうけど、背負ってるものが私一人の生活だけだけだからまだ気負わず出来る気がする。ほんとかよ。

3月ですね。

3月と言えば就職活動解禁!私はのろのろと動き始めたが、将来のビジョンがまるで見えない。

解禁記念に一社説明会と一次選考を同日に行う企業に行って選考を受けて来た。強く志望する業界でも無かったので、本当に「就活ってどんなもんですかいね(笑)」くらいの気持ちで出陣したのだが…間違いだった。御社の話を聞いているうちに、御社で働かせてください!!という気持ちが湧いてきてしまったのだ。業務内容がとても楽しそうだった。

話を聞いた後は何の対策もしていない筆記試験を受け、プログラム終了。通った人にだけ連絡が来るとのことだった。

御社のもとで、働きたい。突如頭をもたげたその想いは叶わなかった。選考通過の連絡が来るリミットまで、不在着信が入っていないものかと健気に携帯を確認していたが、何の連絡も来なかった。当然である。「筆記試験は正答率だけを評価するのでマークシートはとにかく全部…(あとは分かりますね?)」といった感じで面接官から説明を受けたが、私は何分ノー対策で臨んだので無茶苦茶なペース配分で問題を解いていき、鉛筆を転がす余裕も無いままタイムオーバーした。

後悔した。日常生活で後悔攻めの気持ちを疑似体験出来る機会があるなど思いもしなかった。適当な気持ちで御社と向き合って、いざ振られたらさめざめ泣くなんて、余りにも愚かだ。

そんなこんなで底辺学生の就活は始まった。早く楽になりたい、とにかくこれに尽きる。今は春休みだからまだ良いが、ここから新学期に入って卒論に追われるのかと思うとクソがよ……以外の言葉が出ない。今年の目標は、心身共に死なないこと!よろしくお願い致します。

 

しがない日記

痩せたい!!!!

最近の私はこの思いに囚われ続けていて、常に行動を起こさなければ…と焦燥に駆られている。しかしやっていることと言えば気休めにもならないレベルの筋トレ(風呂上がりに適当にスクワットと腹筋をする)だけなので、もっと”やってる感”を得るためにランニングを始めようと決めた。そのためにまずスポーツウェアを買った。形から入る人間のお手本みたいな行動である。しかし、仮にそう言った形あるものを手に入れないままランニングを始めて、徐々に習慣化していったらいずれ道具を買って更に良いパフォーマンスを叩き出したい!という気持ちが湧く瞬間が訪れるので、良いのだ。買うのがちょっと早かっただけだ。小学生の時に観たルパンの映画で、登場人物の誰かが襲われて、今際の際に「どうせ人は皆死ぬんだ。俺はそれが少しばかり早かっただけだ」というような台詞を言っていたことをふと思い出した。幼いながらにそれはねえだろ…と思ったのでそこだけよく覚えている。

ランニングが三日坊主になったらもうその時はその時だ。無造作に積み上げられたスポーツウェアを視界の隅で捉えながら過食しようと思う。

 

好きなボカロPの新曲が上がっていたので聴いた。その人の曲は歌詞が良くて、視野狭窄な限界恋愛ソングとでも表現すればいいのかとにかくどん詰まりな空気が言葉の節々から醸し出されていて好きだ。恋愛ソングと言ったが別に恋愛と仮定しなくても性愛の伴わない愛情とかその辺を仮定して書かれてるのかもしれない。他人への執着や独占欲はそれが無くても成立する。感情を煮詰めて煮詰めて煮詰めまくった末に書かれたような歌詞は他の曲とは段違いで刺さる。私の創作上のヘキが行き詰った関係性だからという理由も十分にあり得るが、作者が現実でギリギリな状態で人間関係を築いてきて生まれた歌詞だから聴いた人の心に刺さるんだという可能性を信じていたい。作者のリアルな苦しみの上であれらの曲が成り立っているんだというファンタジーを夢見たい。苦しんでいない人間の書いた歌詞に心を動かされたくない。

新曲はとても良かった。まだ当分ファンタジーに浸っていられると思う。創作において身銭を切る必要はないけど、自分を切り刻んで作られたものの方が優れていると評価してしまう。最低だな~。

虚無虚無プリン

※2022/4月追記 1年以上前はこんなこと書いてたけど今はデザイン関係の仕事に就きたいと思っている。考えがコロコロ変わり過ぎていて、自分で自分が信用出来ない。

 

高校時代

受験期、親に高い受講料払って画塾に通わせてもらい、妥協に妥協を重ねた末なんとか大学に進学することが出来たが、そもそもその学部に進んで学びたいという気持ちがどこから生成されたものなのか思い出せない。恐らくこれと言った大きなきっかけは無かったように思われる。

私は高校生だった当時理系クラスに所属していたのだが、ある時「このまま理系学部に進学し、就職出来たとしても人生楽しくないんじゃないか?」と思い至り泣いてしまったことが強いて言えばきっかけだったのかもしれない。理数系の勉強がなんにも楽しくなかったのに理系クラスに進級してしまったものだから、当時の学校生活が本当に辛かった。そういう訳で大学では好きなことをやって楽しい職場につくんだ!というホワホワな将来設計のもと、進学先を考えるようになった。

 

虚無虚無キャンパスライフ

綿が詰まった脳みそが導き出した自分にとって最適な進路はデザイン系の学部だった。ブックデザインとかしたいし良いかも^^と思ったのだ。この程度の気持ちで進学先を決めたことを今となっては少し後悔している。浅慮過ぎるだろ。

入学してしばらくは専門的な講義や演習も少なかったにも関わらず、毎日何だかんだ朝から夕方まで授業が詰まっていて忙しかった。色々考える暇もなくただ予定が詰まっているという現実のみがそこにはあったが、今思えばこの入学当初の時期が一番充実していたかもしれない。今後学んでいく専門的な科目に思いを馳せながら、初めての大学生活を楽しんでいた。

入学後しばらく経ってついに学部専門の授業がスケジュールに入り込んできた。やっと始まるんだとワクワクしていたが、これがかなり思っていたのと違った。課題の概要を説明されたら後はもう制作時間で、授業のシステム自体が放任主義だった。先生が参考になるような過去作などの紹介をしてくれるものの、それが終わったら後はもう生徒の自主的な動きに任せるよと言った感じだった。出される課題の性質上、当然と言えば当然なのだがもっと手取り足取り教えてくれ!!と思ってしまった。恐ろしいことに、2回生が終わりかけているという今現在も私は手取り足取り教えてくれ!!の心境にいて、一切の成長がない。小中高での授業形態を未だに引きずっている。そういう甘ったれたマインドで生きている人間は努力が嫌いなので、課題に対する熱量も乏しく毎度締め切りギリギリになって取り掛かっているというのが現状だ。早く死にたい。将来のビジョンがぼんやりしている上自主性が無いのにデザイン学部とか選ばなきゃよかった。

高校時代は周りが勉強に専念している中で自分は学科+デッサンもやってて偉すぎるだろ…と自画自賛していたが、これは今思えば大学で自主的に学ぶ権利を前払いするための対価だったのかなと思う。受験期にその大変さに耐えてまで、自主的に学べる場を手にしたいという思いを持った人たちが、二次試験(実技)の会場に集まっていたのかもしれない。私はそれをはき違えて自己陶酔に陥ってた訳ですが…。

 

今後

意志激弱努力嫌人間こと私が今後どう生きれば良いのか考えた結果、とりあえず大学は頑張って卒業することにした。

もういっそ転学して何らかの資格を得るために一意専心することが一瞬頭をかすめたが、自分の中に転学のための勉強をするまでの熱量があるのかがまず疑問なうえ、お金も時間もかかり過ぎるのでこの考えはすぐに霧散した。でも今大学で学んでいる(気になっている)分野での就職を半ば諦めているので、それ以外のことを勉強して自分を安心させたい。私は意志も思考力もよわよわだと、大学に入学してからの2年間で思い知ったのだ。

そういう人間でも立ち向かえるような分野があるのか、ここでまた疑問が生じるがなんとかなるだろと思っている自分もいる。自分のままでなるべく無理せず生きたい…。

ムズ過ぎ人間界

今日はバイトだった。以前は8時間だったシフトを5時間に減らしたことですぐに帰れるようになって気分が良い。収入は減る。背に腹は代えられない。

帰ってから15時過ぎに遅い昼食を摂った。昨日の残りのシチューに豆腐を突っ込んでチーズを乗せて、グラタンらしきものを作った。それだけだと少なかったので半分残っていたピザ(スーパーでイブの日に買った。味はお察しと言ったところだ)もつけた。…なんだか虚無だ。どうして私は残り物ばかり食べているんだ?スマホ片手にピザを頬張る時、私の味蕾は機能していなかった。

一人暮らしをしていると、食事中にスマホを触るクセがついた。目の前にマナーを守って食べる自分をアピールする相手がいないと人はこうも堕落するのだろうか。マナーは人が人らしさを保つためにあるのかもしれない。排泄しながら飯を食うことは可能だが、それを他者の目に触れさせることは何らかの罪に問われると思われるので、人は皆そうしないのだ。あとそれをして何になるのか?私は何を言っているのか?食事中にスマホを触ることだって、味覚と視覚で過剰に情報を摂取したところで何になるんだと言う話で、マナー違反云々の前に無意味だ。一人で食事を摂る時につい目が情報を求めてしまう心理を突き詰めていくと、その先にはどうにも出来ない孤独とかが寝転がっていそうだがひとまず私は考えるのをやめた。とりあえずながらスマホは無意味、よくない。これをよくないと思えるぶん私はまだ人間界のルールに従わなくてはという意識を胸に抱えているので、社会復帰も夢ではないのかもしれない。

昼食後も引き続きダラダラとスマホで漫画を読んだりしていた。アプリで配信されている単話の漫画を読んだ後の虚無感(2回目 以後禁止ワード)、何なんだろう。普通にその漫画が好きで追っているはずなんだが、更新分を読んだ後は物足りない気持ちが残り、私はこんなことに時間を使っている場合じゃないんだと謎の焦りを覚える。好きで読んでるクセにその作品の価値を貶めるようなことを言うなよと我ながら思うのだが、一話読んだだけだとどうしても暇潰し感が強くなってしまい、漫画を読むという本来自分の中で楽しいとされている行為自体の尊さが下がっている気がする。それとスマホをいじっていること自体を時間の無駄で悪しきことだと捉えている節があるので、その延長でたとえ漫画という趣味を楽しんでいたとしてもそこに罪悪感がつきまとうのだと思う。でもこれはアプリで読むような単話に限った話で、kindleで買った単行本を読んだ後は普通に気分が良いのでどれだけ話に集中する時間を設けられるかがミソなのかもしれない。あとお金を払ってることも大きいと思われる。対価を支払ったものには一定以上の価値があると無意識に期待してしまう。

そういう感じで、スマホをいじいじしている自分に嫌気が差してきたので酒を開け、本を読むことにした。まだ夕方になったばかりだったけど開けてしまった。サングリアサワーの赤ワイン、初めて飲んだけどとても美味しかったので自分の全ての業が清算された(知ってますか?酒は業を流してはくれませんよ)。読んでいた本は死と豊穣の民族文化。自分がなぜこれを読んでいるのかは正直よく分からない。読んでいる理由も分かってないので当然内容にも集中出来ず、バイト後の体は休みたがっており、そこに酒が殴り込んできたので、結果、寝た。最悪~。でもこういう最悪さがあってこその人間かもしれない。そうだね。

最悪~と思いながら目を覚ました後、眠っていた小一時間に見た夢のことをぼんやり反芻した。バイト先に自分と負けず劣らず陰の雰囲気を纏っている男性がいて、その人は普段、他のスタッフの誰とも喋らず黙々と仕事をしているのだが、ある時彼の友人らしき人がバイト先に現れた。その時彼はカウンター越しに友人の方に身を寄せて、彼らにしか聞こえないような声量で楽しげに談笑しており、それを私は完全なる部外者として眺めている、という夢だった。…なんか、良いね。正直思い出しながら萌えていた。その男性には陰の者として一方的にシンパシーを感じている程度で特別な感情はないのだが、それでも普段楽しそうにしているところを見たことが無い人の本当の”楽”を目の当たりにした時、私はグッときてしまうんだなと思った。他人の、自分が知らなかった一面を垣間見た時の喜びは実に甘美で後ろ暗いものがあるのだと改めて気付かされた。まあ全部夢の中の出来事に過ぎないのだが。

他人の普段は隠れている内面的な要素を知ることには中毒性があるが、同時にその人の底に近付いてしまうのでもったいない、と思う自分がいる。分からないからこそ他人は面白くもあり、恐ろしくもあるので、そこを一定以上知ってしまうと他人を他人たらしめている要素がなくなって途端に敬意を払うことが難しくなってしまうような気がするのだ。もっと知りたい と思うような相手は、当然私にとって好ましい人であり敬意を払う対象だが、その欲望を叶えてしまうことで相手への好意が薄れていって次第に取るに足らない人たちのうちの一人になってしまうことが怖いと最近考えるようになった。ちなみにこんなことを考えるきっかけになったのは今現在の推し(実在する人物)だ。他人に底があるという前提で考えているのも失礼な話だが、どうしてもその辺を考えて怖くなってしまう。人間界も人間である自分自身も、難しいですね。

キリがないので雑に締めてしまった。

推しが着てる服が欲しい

タイトルが全てである。推しが着てる服が欲しい、それ以上でも以下でもない。

『それ以上でも以下でもない』本当か?自分を疑え。同化願望とか好意とか色んなものがごちゃ混ぜになった結果の、推しと同じ服が着たい、なんだろう。同じ服を着たところで所詮体を覆う布の種類が同じになってなんだか嬉しいね、ぐらいの感想しか生まれないんだけど、推しと同じ服が欲しい。推しは異性なので同じものを着たところでどう足掻いても同じシルエットには仕上がらないのだが、着たい。おそろいだ、なんだか嬉しいね、ふと視線を落とせば推しが着てた服、日常に自分のライク…を忍ばせてニヤ付きたい。何なんだ、この気持ちは?自分がめっぽう分からない。立体の人が推しになったあの日から、自分が全然分からない。自分にとって好ましいところも、そうじゃないところも全てを好きでいたい。良いところだけ見ていたいけど、悪いところもたまに見て、それでも推せると安心したい。本物の人に好意を抱くということには大いなる恐怖が伴うのだ。推しを好きでなくなる日が来るとしたら、それは私が変わった時だ。今までの価値観を投げうって別の何かに縋って生きていくと決めた時だ。そして推しは許容の彼方に投げ出されていく。変わりたくない。推しが好きな私でいたい。あなたは私を映す鏡だ。推しと同じ服を着て、自分の形を確かめる。そうして初めて私の姿は安定するのだ。

よよいの酔い

一ヵ月前にkindleを買った。ずっと気になっていたからというのもあるが、セール中でちょっと安くなっていたのでそれに大きく後押しされて購入に踏み切った。ただ、買う前から、買った所であまり使わないかもしれないということを危惧しており、今まで気になっていたのに踏ん切りがつかなかったのはそのせいである。またスマホを使うようになってから読書量が格段に減っていたので、高い金払って本を読むためだけの機器を持つ意味って、ある…!?と、自問自答し続けてきたのだ。

そんな答えの見つからない問答をセールという圧倒的な力でねじ伏せたうえで、私はkindleを手に入れた。ほぼ勢いで買った。自分を納得させるための答え(普段スマホばっか触っているのは板状のデバイスが好きだから→本から遠ざかってしまった今の自分でも、kindleという板を介してなら読書へのハードルが下がるのでは? は?そんなの自己欺瞞では?)も一応用意したうえでの決断だったが、それでもやっぱり勢いで買った。勢いが勝ったのだ。

しかし、と言うべきか、やはり、と言うべきか、私の危惧は的中し、一ヵ月前から今日に至るまで3冊しか読まなかった。今までの自分なら一月に3冊も読めれば御の字という所だが、最近は学校も休みでニートと私の違いが分からんという具合だったので、余暇の長さと読んだ冊数が全く釣り合っていないのだ。

そもそもなんでこんなに本読まなきゃ!という観念に囚われているのだろう。活字を大量に読むという非日常が達成感を与えてくれるからなんだろうか。他の集中を要する行為よりも手軽に出来て、消費した集中力の1.5割増し(体感)でやり切った感を得られるからだろうか。こういうことを考えると自身の精神の歪みが垣間見えて怖くなってくる。一応読書を楽しいと思ってやっているが、そういう快楽のために読んでるところがあるかもと思うと、途端に自分の浅ましさに居たたまれなくなる。

そしてこれからもっと浅ましいことを書く。今日は電車に乗らないといけないような用事があったため移動のお供にと思ってkindleを持ち出した。移動中に暇だから、ではなく移動中なら否が応でも本を読む気になるだろう、みたいな気持ちで持って行った。読書は強制ではない…そのことを自分に教えてあげたい。これも浅ましい判定Cくらいは食らいそうだがひとまず目を瞑るとして、問題は喉が渇いたので休憩しようとカフェに入った時だ。勘の良い方ならもうこの時点で嫌な予感がしていると思うが、結論を言ってしまうと茶をしばきながらkindleで本を読んだ。アウトです。浅ましい判定Aが出ました!!カフェでも入るかと思った時点から、いやもしかしたら出かける前から「オシャレなカフェで本を読みた~い」と思っていたかもしれない。最悪…。陳腐化されたオシャレな休日の過ごし方のど真ん中を行く行為を素面でやった自分を恥じたい。そういうのもう逆にnotオシャレなのでは?と思っていてもなおやってしまった自分が嫌だ…。その結果分かったことが、片手で読書出来るのめちゃ便利!だった。もう片方の手でグラスも持てる。それはそうだけど、家の中でも気付けることじゃん、それ。今更過ぎる気付きだった。

カフェで読書しながら私はめちゃくちゃに酔っていた。kindleの便利さにようやく気付きつつ、ささやかな憧れを実践する自分に酔っていたが、店員さんが隣のカウンター席を消毒しに来たことで我に帰った。やべ、退店しろって言われる?と一瞬身構えたが初めに「失礼します」と声を掛けられただけだった。それが気遣いなのか普通のことなのかは分からなかったが、長居してる場合じゃないと思い至り店を出た。

思えば、本来の私はスタバでmacを開いている人を小馬鹿にするような狭量な人間なのだが、今日やっていたことはそれに似通った行為である。私は自分が密かに憧れを抱いていることに手を伸ばさず自ら諦めてきたんだろうか。葡萄が取れないキツネのことを思い出す。でも今日の自分を恥ずかしいと思っている自分も上述の通り確かに存在していて、憧れと憎しみは半々といったところなんだろうか。こういう自意識をめんどくせ~と笑うのは簡単だが、受け入れるなり抹殺するなり何らかの対処を取れるようになりたい。大人になるってそういうことだと思った。もうすぐ誕生日を迎えて二十歳になる訳だが、まだまだ全然大人になりきれない。成人したらしこたま飲んで酔ってやる。(ダメな対処法の代表例)