押し入れに引き出し

PCの起動を習慣化することを目標に掲げています

よよいの酔い

一ヵ月前にkindleを買った。ずっと気になっていたからというのもあるが、セール中でちょっと安くなっていたのでそれに大きく後押しされて購入に踏み切った。ただ、買う前から、買った所であまり使わないかもしれないということを危惧しており、今まで気になっていたのに踏ん切りがつかなかったのはそのせいである。またスマホを使うようになってから読書量が格段に減っていたので、高い金払って本を読むためだけの機器を持つ意味って、ある…!?と、自問自答し続けてきたのだ。

そんな答えの見つからない問答をセールという圧倒的な力でねじ伏せたうえで、私はkindleを手に入れた。ほぼ勢いで買った。自分を納得させるための答え(普段スマホばっか触っているのは板状のデバイスが好きだから→本から遠ざかってしまった今の自分でも、kindleという板を介してなら読書へのハードルが下がるのでは? は?そんなの自己欺瞞では?)も一応用意したうえでの決断だったが、それでもやっぱり勢いで買った。勢いが勝ったのだ。

しかし、と言うべきか、やはり、と言うべきか、私の危惧は的中し、一ヵ月前から今日に至るまで3冊しか読まなかった。今までの自分なら一月に3冊も読めれば御の字という所だが、最近は学校も休みでニートと私の違いが分からんという具合だったので、余暇の長さと読んだ冊数が全く釣り合っていないのだ。

そもそもなんでこんなに本読まなきゃ!という観念に囚われているのだろう。活字を大量に読むという非日常が達成感を与えてくれるからなんだろうか。他の集中を要する行為よりも手軽に出来て、消費した集中力の1.5割増し(体感)でやり切った感を得られるからだろうか。こういうことを考えると自身の精神の歪みが垣間見えて怖くなってくる。一応読書を楽しいと思ってやっているが、そういう快楽のために読んでるところがあるかもと思うと、途端に自分の浅ましさに居たたまれなくなる。

そしてこれからもっと浅ましいことを書く。今日は電車に乗らないといけないような用事があったため移動のお供にと思ってkindleを持ち出した。移動中に暇だから、ではなく移動中なら否が応でも本を読む気になるだろう、みたいな気持ちで持って行った。読書は強制ではない…そのことを自分に教えてあげたい。これも浅ましい判定Cくらいは食らいそうだがひとまず目を瞑るとして、問題は喉が渇いたので休憩しようとカフェに入った時だ。勘の良い方ならもうこの時点で嫌な予感がしていると思うが、結論を言ってしまうと茶をしばきながらkindleで本を読んだ。アウトです。浅ましい判定Aが出ました!!カフェでも入るかと思った時点から、いやもしかしたら出かける前から「オシャレなカフェで本を読みた~い」と思っていたかもしれない。最悪…。陳腐化されたオシャレな休日の過ごし方のど真ん中を行く行為を素面でやった自分を恥じたい。そういうのもう逆にnotオシャレなのでは?と思っていてもなおやってしまった自分が嫌だ…。その結果分かったことが、片手で読書出来るのめちゃ便利!だった。もう片方の手でグラスも持てる。それはそうだけど、家の中でも気付けることじゃん、それ。今更過ぎる気付きだった。

カフェで読書しながら私はめちゃくちゃに酔っていた。kindleの便利さにようやく気付きつつ、ささやかな憧れを実践する自分に酔っていたが、店員さんが隣のカウンター席を消毒しに来たことで我に帰った。やべ、退店しろって言われる?と一瞬身構えたが初めに「失礼します」と声を掛けられただけだった。それが気遣いなのか普通のことなのかは分からなかったが、長居してる場合じゃないと思い至り店を出た。

思えば、本来の私はスタバでmacを開いている人を小馬鹿にするような狭量な人間なのだが、今日やっていたことはそれに似通った行為である。私は自分が密かに憧れを抱いていることに手を伸ばさず自ら諦めてきたんだろうか。葡萄が取れないキツネのことを思い出す。でも今日の自分を恥ずかしいと思っている自分も上述の通り確かに存在していて、憧れと憎しみは半々といったところなんだろうか。こういう自意識をめんどくせ~と笑うのは簡単だが、受け入れるなり抹殺するなり何らかの対処を取れるようになりたい。大人になるってそういうことだと思った。もうすぐ誕生日を迎えて二十歳になる訳だが、まだまだ全然大人になりきれない。成人したらしこたま飲んで酔ってやる。(ダメな対処法の代表例)