押し入れに引き出し

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君には100欲しい服があるか

久しぶりにショッピングモールへ行った。全てのテナントの入り口が通路に開けていて、目についた店全部に片っ端から入っていき、特に何も買わずフラフラ退店したり、欲しいものがあったら購入したり。楽しい。店に入ったからには何か買わなければ行けないという義務感に気負わされる必要もなく、気の向くままにあちこち入れるって最高だ。ショッピングモールは田舎の象徴、みたいな謎の偏見に縛られていたが、ショッピングモール、好き!と純粋に思えた一日だった。しばらく距離を置くことで好意を抱けることってあるんだな。終わりかけてるカップルが一度距離を置こうってどちらからともなく言い出すアレもちゃんと効果があるのかもしれない。知らないが。

そうやって施設内を巡っている時に服屋にも足を踏み入れた。ショッピングモールって服屋と飯屋があればとりあえず成り立つ気がするのだが、そんなことを考える度人は飯を食べて着飾れさえすれば当面の間は満足するという歪んだ現実に辿り着いてしまって悲しくなる。大多数の人の欲望なんてそれっぽっちだし、自分もまあその程度の欲しか持たない人間の一人なんだろうな。デカい夢を持ちたい。

まあ服屋に入ったのだ。季節の節目ということで、たいていの店でセールをやっていた。卑しい大学生なので、ちょっと気に入った服があったら値札を見て、割引シールが貼ってあるとちょっと嬉しくなり、でも保留にして、店内を回って、また良い服があったら値札を見て…ということを繰り返した。そうやって何も買わずに何軒か回っていたのだが、保留にした服のうち、結構欲しいかもと後からじわじわ物欲が湧き上がってきたものがあったので一度は離れた店に舞い戻った。再び服と睨み合う自分。買うか否か、とりあえず試着する?店員さんに声をかける寸前までいったが、結局私は買わなかった。もともと割と安かったうえ更に半額になっていたため、全く手出しが出来ない…という服ではなかった。それなのに私があと一歩踏み出せなかったのは、100%の気持ちで服を買うことに慣れてしまったからだと思う。めちゃくちゃお金を持っている訳ではないからそれはむしろ良いことなのだが、以前の私なら、その今日買えなかった服を難なくレジまで持って行けていただろう。

自粛が善!という時勢になってからそもそも服を買う頻度が落ちていたが、それでもちょくちょく通販サイトを眺めて、欲しい服があったら買っていた。その時買う基準となるのは一にデザイン、二に値段だ。店頭で気に入った服を買うか否か、そのシンキングタイムはせいぜい半日(それでもかなり悩んでる)なのに対して、ネットだと在庫が切れない限りは何日だって悩める。時間が与えられた以上、その服が自分にどれだけの満足を与えてくれるかということを熟考し、結果私のふるいから数々の服が抜け落ちて行った。逆に厳しい選考を生き残った服は、少々身の丈に合わないような値段でも買うだけの価値があると思ったので、買った(代引きでお金を払う時にはちょっと後悔した。飛ぶ万札!顔で笑って心で泣いて)。

そんな訳で服の購入に対して極度に慎重になってしまった。また以前のように安さに惹かれ、勢いで服を買うという行為を働ける日が来ると思えない。そう思っているのも今の内だけで、時勢的にも気持ち的にもホイホイ遊びに行けるようになったら気軽に服を買う自分に戻るのだろうか?それが嫌な気もするし、良い気もする。だって一時の熱の上がりで服を買うってとても気持ちの良いことなので。

…衝動買いで気持ち良くなるって、やっぱり不健全では?