押し入れに引き出し

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愛想笑い 売ります

接客のバイトを始めて一年ちょっと経つが、未だに客の前で上手く笑えない。お客さんの方からお礼を言われたらあまり意識しなくとも笑って返すことが出来る(それが普通?)が、自発的に笑うということは苦手だ。

何も笑う理由がないから笑顔を作れないのだと自分で思っていたが、よくよく考えると若干正しくない気がする。

自分は物心ついた時からコミュ障である自覚を持っていて、人が3人以上集まると途端に空気と化してしまう。そういう自覚が強過ぎると、「こんなに人が沢山いる場で発言したら自分じゃない」、みたいな変な思い込みに苛まれて更に何も言えなくなる。アイデンティティを短所に見出していてどうにもなんない。これが私だという開き直りのフェイズに入ってしまっている。

そんな人間がやりがちなことと言えば、発言代わりに漏らす愛想笑いだ。自分自身があまりウケてなくても、笑っておけば何も言わなくても発言のターンから逃れられるから便利だ。そんな気がする。これがその場しのぎの応答だとは分かっていても、発言しなくて済むという自分にとって非常に楽な方法を一度知ってしまったらもう後戻り出来ない。以後、多人数とのコミュニケーションに乱用してしまっている。そうやって逃げてばかりいると、人と話している最中に乗っかりたい話題が出てきても会話における瞬発力がボロクソなため、一人で逡巡しているうちに話題が変わってまた曖昧に笑っているだけの状態になる。なんか打ってて悲しくなってきた。ほんとに悲しい人間だねお前。

つら~~~マジ何の話してたんだっけ?

接客中の笑顔だ。

普段の多人数での会話においてぬっるい笑いを多用していると、バイト中でもその対応が滲み出す。客から謎に話を振られた時、こっちは別に聞いとらん身の上話をされた時、子どもがカウンターに侵入してきた時…。全部愛想笑いしてる。愛想笑いで解決しようとしてる。割と何とかなるけど、決して最良の方法ではない。ちなみに3番目のやつは子どもではなく親に「何とかしてくれ」というメッセージを込めて愛想笑いしている。いや自分で注意しろよ。

客への対応に全て愛想笑いで臨むのは完全なる思考放棄だ。お礼を言われた時に出る笑顔さえ、本当の所はお客さんの言葉に対してオート機能で笑顔が浮かんでいるだけなのかもしれない。普通の一対一の会話では自分も喋らなければ場が詰むのでなにかしら意味のありげな言葉を発しているが、多人数になるとそういうのを全部放棄してひたすら受け身で笑っている。私の中で多人数での会話と接客は同じ分類にあるのかもしれない。それぞれの場において、自分の存在をあってもなくても同じものだと軽んじていることが共通しているのではないだろうか?

人によって接客の質に差はあれど、この人じゃなきゃ駄目だという特別な技能は一介のバイトには求められていない。だから接客業のバイトは代替可能な存在であることから逃れられないという卑屈な考えが、自分の無意識下にあるのだと思う。単純に答えに困って笑っている場合もある。しかし答えに窮する暇もなく適当に全部「(笑)」で対応していることも事実だ。

接客中に私が自発的に笑顔を浮かべられないのは、笑う理由がないからではなく、恐らく自分という存在の意志が消えているからだ。客の言動への応答として機械的に笑うことは出来ても、私の意志は接客中風前の灯に置かれているため、笑おうとしたら逆に顔が引きつってしまうのだろう。このままで良いのか??週20時間近くを自我が死んだ状態で過ごしてて良いのだろうか?自分のために自然に笑顔を浮かべられるようになりたい。オートマじゃなくてマニュアルの免許を取りたい。ほんとに笑いたい時だけ笑うのが真っ当なコミュニケーションなんだろう。真っ当なコミュニケーションの何たるかを知らんけれどたぶんそういうことだ。心に常に血を通わせて話せる人間になりたい。愛想笑いは売り飛ばす。